SUN-D Project SUN-D
抗うつ薬の最適使用戦略を確立するための他施設共同無作為比較試験
試験の背景

日本国民の健康にとって大うつ病の負担はきわめて大きい

WHO推計によると、大うつ病は人類にとって死亡を含めないDALY*損失、すなわち健康損失の最大の原因であり、死亡を含めたDALY損失、すなわち健康および生命損失の3番目に大きな原因であり、さらに今後20年間その損失は増加傾向にあると推定されている[1]。同じ推計によると、日本では、前者についてはやはり最大の原因であり、後者については脳血管疾患に次いで2番目に大きな原因となっており、国民全体の健康および生命損失の実に約6%を占めている。

* DALY (disability-adjusted life years)は「障害調整生命年」と訳され、WHOの定義によれば「死が早まることで失われた生命年数」と「健康でない状態で生活することにより失われている生命年数」の合計である

実際、うつ病は日本人においてももっとも頻度の高い精神疾患であり、女性では12人に1人(8.5%)、男性では29人に1人(3.5%)が生涯に一度はうつ病に罹患すると推定されている[2]。厚労省の患者調査でも気分障害の推計受療患者数は大きく伸びており、過去20年間で6倍にもなっている。日本では1998年から自殺者数が3万人以上に急増し、以後減少していない(1日に換算すると平均およそ85〜95人)。10万人当たりの自殺率は日本は米国の約2倍英国の約3倍に達する。自殺既遂者に対する心理学的剖検研究では、既遂者の9割は自殺直前に何らかの精神疾患に罹患しており、その半分がうつ病であると考えられている[3]。

うつ病の治療には、薬物療法も精神療法も同等に有効である [4]が、入手可能性と品質管理と費用の面から、医療現場では抗うつ剤が治療の中心となっている。抗うつ剤には、異環系抗うつ剤(HCA)、モノアミン酸化酵素阻害剤(MAOI)、選択的セロトニン再取り込み阻害剤(SSRI)、セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害剤(SNRI)、その他の新規抗うつ剤(ミルタザピン、bupropion)*などがあるが、先進国では過去20年間抗うつ剤の使用量が劇的に増加し、これは主にSSRI、SNRIなどの新規抗うつ剤の増加に由来し、今や新規抗うつ剤がもっとも一般的に処方される抗うつ剤となった[5]。日本ではSSRIが登場する1999年までは抗うつ剤の市場規模150億円程度で推移していたが、SSRIとSNRIの発売後に年20%以上の伸び率で急成長し、2008年には1200億円にせまり、10年間で約8倍に市場が拡大したことになる。現在新規抗うつ剤の市場シェアは89%に達している [IMS Japan]。

* 以下、日本で未承認の薬剤はアルファベット表記、日本で承認済みの薬剤はカタカナ表記とする

抗うつ剤のファーストライン選択についての最新のエビデンス

うつ病の治療に際しては、抗うつ剤の具体的かつ適切な使用指針が必要であることは論を俟たない。しかるに、2008年に至るまで、アメリカ精神医学会のガイドライン[6]、カナダ精神医学会のガイドライン[7]、アメリカ内科医学会のガイドライン[8]、イギリス保健省のNICEガイドライン[9]、日本のガイドライン[10]のいずれにおいても、種々の抗うつ剤の間では副作用プロフィールに差があるだけで、有効性には差がない[11]ので、「副作用プロフィール、費用、および患者の好みに基づいて新規抗うつ剤の中から選択をする」ことが推奨されている[8]。

しかし、2009年、日本・イタリア・イギリスの合同チームが、大うつ病の急性期治療において12個の新規抗うつ剤同士を比較したRCT全117件(25928人)の系統的レビューの結果がLancet誌に発表された[12]。このMeta-analyses of New Generation Antidepressants (MANGA)研究は、コクラン抑うつ不安神経症グループのデータベースを利用して現時点で考えられるもっとも網羅的なデータセットに基づいているうえに、抗うつ剤Aと抗うつ剤Bとの直接比較だけではなく、別の抗うつ剤CやDやE他とAおよびBとの比較も統計学的に合算させるネットワークメタアナリシスという手法を用いている。これらにより、①今まででもっとも精密な(つまり95%信頼区間の狭い)効果推定を、②可及的に出版バイアスを排除する(抗うつ剤AならAを扱った研究にはどうしてもAを販売している会社のデータが多くAに有利な出版バイアスがかかっている可能性があったがここにBもCもDも他の薬剤も統合することで出版バイアスの影響が小さくなる)形で行うことが出来た。

結果、12個の新規抗うつ剤の間にはいくつもの統計学的に有意で臨床的に有意味な差異が観察された。有効性efficacyにおいては、ミルタザピン、escitalopram、venlafaxine、セルトラリンが優れており、受容性acceptabilityにおいてはescitalopram、セルトラリン、bupropion、citalopramが優れていた。コストも勘案し、原著者らはセルトラリンをファーストライン選択の候補と結論している。

抗うつ剤のセカンドライン選択についての最新のエビデンス

大うつ病治療の困難点の一つは、十分量の抗うつ剤の十分期間の治療でも、反応(うつ病重症度が治療開始時の半分以下になる)率は約50%、寛解(ほぼ正常気分になる)率は約30%に過ぎない点である[13]。ファーストラインの治療に対して患者が無ないし部分反応である時に、セカンドラインの治療戦略が用意されなくてはならない。種々のガイドラインで推奨されているものには、①増量 dose escalation、②変薬 switching、③増強 augmentationがある[9, 14]。しかし、多くのRCTが薬剤の認可あるいはその後のマーケティング戦略の中で計画される中、セカンドライン治療についてのエビデンスはファーストラインのそれに比してかなり乏しい。

まず、増薬のストラテジーについては、前薬の継続を対照群としたRCTについて系統的レビューが3本発表されているが、すべて、ファーストラインの治療に無ないし部分反応であった場合に、同じ投与量を続けるよりも、増量した方が有効性が高くなるというエビデンスはないと結論している[15-17]。次に、変薬については、系統的レビューが2本[18] [19]あるが、これらによると、前薬の継続と変薬のストラテジーを比較したRCTは1本しかなく、これによるとfluoxetine 20 mg/日による6週間の治療後も無反応であった者104人を、さらに6週間そのまま継続するか、ミアンセリン 60 mg/日に変薬するかで比較したところ、寛解率は18%と36%であった(p=0.10) [20]。また、変薬する薬の間での差異を検討すると、ファーストラインがSSRIであるときにSNRIのvenlafaxineへの変薬は同じSSRIへの変薬よりも有効であるようだが、それ以外に異なった薬理学的クラスへの変薬を推奨する根拠は強くなかった[19]。最後に、増強戦略については多数のRCTと系統的レビューが発表されている。もっともエビデンスが揃っているのがリチウム増強[21]、甲状腺ホルモン増強[22]、非定型抗精神病剤による増強[23]である。ほかに、ミルタザピン/ミアンセリンによる増強のRCTが3本[20, 24, 25]、ピンドロールによる増強のRCTが11本ある[26]。

増量、変薬、増強の3戦略それぞれの効果も問題であるが、さらにそれらの間での優劣を比較したエビデンスはほとんど存在しない。例えば、米国NIMHが30億円をかけて実施した実践的大規模RCTのSequenced Treatment Alternatives to Relieve Depression (STAR*D)では、それまでの治療で寛解に達しなかった患者に、変薬については計5選択肢と増強については計4選択肢を検討したが、変薬と増強の間の優劣については変薬と増強のいずれに割り付けられても構わないという同意をした患者が少なくて比較すら出来なかった[27, 28]。

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新規抗うつ剤の最適使用戦略を確立するために

こうしてみると、最新のエビデンスを踏まえた上でも、日本の臨床家がうつ病の薬物療法を組み立てて行く上で解決されていない、切実かつ重要な臨床疑問がいくつも存在する。切実とは、実地臨床家がほぼ毎日のように遭遇する臨床疑問であるという意味である。重要とは、実際に患者の日常生活に直結する臨床疑問であるという意味である。イギリスの独立エビデンスレビュー誌Bandolier (http://www.medicine.ox.ac.uk/bandolier/booth/mental/cipriani.html) はMANGA研究のレビューを「このメタアナリシスが提供しているのは、次のステップのための原材料である。すなわち、最も速く最も安価に最も多くの患者に良い結果をもたらす、うつ病の治療戦略を作成し検証するための原材料である」と締めくくった。うつ病治療研究の次の世代の研究はここから始まる。

ファーストライン治療

まず、ファーストラインについては、MANGA研究の結果から、有効性と受容性のバランスを考えれば日本ではセルトラリンを第一選択と考えて良いだろう。しかし、すでにこの段階から実地臨床家は選択を迫られる。初期投与量の設定である。日本に於けるセルトラリンの標準投与量は50-100 mg/日であるが、臨床家はまず 50 mg/日を目標に投与スケジュールを組むべきであろうか、それとも 100 mg/日を目指して投与を開始すべきであろうか。Papakostasら[29]がSSRIについて複数の固定投与量を比較したRCTの系統的レビューを行ったところ、標準投与量の下限(セルトラリンなら 50 mg/日)を投与するのに比して、その2倍を投与した場合、有効性は高くなるかもしれない(RR=1.12, 95%CI: 0.99から1.27)が受容性が低くなる(RR=0.74, 0.54から1.00)ことを見いだしている。反応率(うつ病重症度が50%以上減少)で言うと51% から 55%に4%増えるかもしれないが、脱落率が10%から17%に7%増えてしまう。ただし、Papakostasらが検討した研究は、セルトラリン200mg, 100mg, 50mg, プラセボの4群を比較したFabreら[30]の研究も含めて、すべて最初から固定用量を投与するデザインとなっている。

果たして、患者の副作用に留意しながらも最大投与量まで増量するという、多くのガイドライン[6, 7, 10]で推奨される戦略は、まずは標準投与量の最低限を狙うべしという戦略よりも、本当に患者の抑うつ症状を軽減しかつ副作用を増やすことはないのか。誰も知らない。大うつ病患者の治療を開始するすべての臨床家が直面する、これほど切実な臨床疑問への回答がないのはきわめて奇妙にして残念なことである。したがって、我々はこれに回答するRCTを計画した。

セカンドライン治療

次に、ファーストライン薬による治療を最適化しても、現在の知見では患者の半数以上は寛解に達することが出来ない[31]。ならば、セカンドラインでは、何を使えば良いのだろうか、そして、それをいつ判断するのが良いのだろうか。

増薬というストラテジーにはこれに効果があるとする系統的レビューがないので、今回は検討の対象としない。増強については上述のように複数の増強戦略についてRCTが行われているが、このうち、現在の日本の保険制度で使用可能なのはミルタザピンおよびミアンセリンによる増強のみである。さらに、増強と変薬といずれがより効果と受容性のバランスでまさっているかは、やはり上述のように、誰も知らない。いつファーストラインに見切りを付けてセカンドラインを考慮すると良いのかも、分かっていない。複数の選択肢について一挙に回答を出す臨床研究を行うことは不可能であるので、われわれは今回の研究ではSSRIを継続する選択肢と比較して、MANGA研究でもっとも有効性が高かったミルタザピンへの変薬と、複数のRCTが有効性を示唆しているSSRIのミルタザピンによる増強とを比較検討することにした。

ミルタザピンへの変薬がセカンドラインの候補となる理由は以下の通りである。①MANGA研究で、ミルタザピンは有効性が最も高い新規抗うつ剤であった。受容性においてやや劣るためファーストラインとはならなかったが、ファーストラインの抗うつ剤に対して無ないし部分反応の患者に対し、より有効性が高いミルタザピンを考慮するのは当然であろう。②2剤の併用による増強療法は単剤による治療よりも既知および未知の副作用のリスクが大きくなるので、単剤治療をまず考慮すべきであるという議論が成立する。

ミルタザピンによるSSRIの増強もセカンドラインの候補となる。その理由は以下の3つである。①ミルタザピン増強の先行研究が有望な結果を出している。1つのRCTではSSRI, bupropionまたはvenlafaxineに反応しなかった患者26人を、ミルタザピン 15-30 mg/日を追加する群とプラセボを追加する群に無作為割り付けして比較したところ、寛解率は46%と13% (p=0.068)であった[25]。別のRCTは、大うつ病の治療当初からfluoxetineのみを投与する群とfluoxetine+ミルタザピンを投与する群を比較したところ、寛解率は25%と52%(p=0.053)であった[32]。②SSRIにNaSSA(ノルアドレナリン作動性・特異的セロトニン作動性抗うつ剤)のミルタザピンを併用することは薬理学的に理にかなっている。ミルタザピンは、まずノルアドレナリンニューロンのα2自己受容体を阻害することにより、ノルアドレナリンの放出を増加させる。ノルアドレナリンはセロトニンニューロンを刺激し、またミルタザピン自体がセロトニンニューロンのα2ヘテロ受容体を阻害するので、併せてセロトニンの放出を促進する。ところが、ミルタザピンは5-HT2A, 2C, 3受容体の遮断効果を持っており、抗うつ効果に直結する5-HT 1A受容体を特異的に刺激することができる。SSRIと併用した場合、2Aの遮断によりSSRIで見られる性機能障害や不眠の抑制、2Cの遮断により不安の抑制、3の遮断により消化器症状の抑制が期待される。③ミルタザピンは肝薬物代謝酵素を阻害せず、併用薬との相互作用のリスクが少ない。セルトラリンはCYP2D6や3A4を軽度阻害するが、これとの併用の場合も、他のSSRIよりも安全であると見なされる。

セカンドラインの治療を考慮する際に忘れてはならない臨床疑問は、いつセカンドラインに切り替えるのが適切であるかという臨床疑問である。この問題も、実地臨床家の立場からすれば初期投与量と同じくらい切実な臨床疑問であるのに、筆者らが知る限りこの問題を明示的に扱ったRCTが存在しない上に、ガイドラインはなおざりな推奨でお茶を濁している。アメリカ内科医学会のガイドラインは「6−8週後に十分な反応が得られなかったときには治療を変更する」としているが、その根拠は薬物の治験の平均持続期間であるという[8]。論理的に説得力のない根拠である。改訂NICEガイドラインに至っては、ガイドライン内に不一致があって、ある箇所では3-4週間でセカンドラインを考慮するが、別の箇所では6-8週間でセカンドラインを考慮することとなっている[9]。そこで我々は、ファーストライン薬の投与開始から3週間後という比較的早期にセカンドラインを考慮する群と、ファーストライン薬を継続する群を設けることにより、早期からセカンドラインを検討することに意味があるか否かを検証できるデザインを採用した。

継続治療

急性期のファーストラインおよびセカンドライン治療を考えるに当たり、もう一つ非常に重要な視点がある。それは継続治療へのスムーズな移行である。急性期治療のみで薬物療法を中断すると再発率が倍増することは、われわれの系統的レビューによって実証されており[33]、現行のすべてのガイドラインが少なくとも数ヶ月の継続治療を推奨している。しかし、実際には多くの患者はガイドラインで推奨されるだけの継続治療を受けていない [34]。従って、急性期治療後3-6ヶ月にわたり抗うつ剤治療を継続できるかは、急性期治療における効果と受容性に加えて、急性期治療を選択する上でもう一つ重要な要因である。そこで、われわれはコホートを治療開始後6ヶ月の時点までフォローすることにより、どの治療戦略がもっとも継続されやすくかつ症状寛解につながるかも検討する。

以上により、われわれは急性期治療から継続治療にわたり、 「最も速く最も安価に最も多くの患者に良い結果をもたらす、うつ病の治療戦略」 (Bandolier 2009)を組み立てるデザインのRCTを計画した。

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